つたえる滋賀と近江
Roots of Japan Project

滋賀という場所だから生まれた

琵琶湖をかこむように滋賀があり、近江八幡はそのほぼ真ん中。広大な平野に農村がポツポツといたるところにあり、豊かな自然と日本の歴史文化財の多くが人々の生活とともに保存されています。
古くは縄文時代から琵琶湖のほとりに人々がくらし、滋賀は日本のなかでもかなり早くから米作りが始まっていて、豊臣秀吉が行った太閤検地の時には日本で最も米がとれる米どころになっていました。流通のかなめでもあった滋賀は、全国にひろがる近江商人を生み出し、松前を開拓した彼らによって北海道の昆布が大量に都に運ばれるようになり、日本料理の基礎となる出汁文化発展の礎となったのでした。しかし近代に入り都が遷ると流通も変わり、滋賀はただの通り道になってしまい、農と琵琶湖と原料産地としての営みを続ける地方へと変わりました。かつての華やぎはセピア色のように色あせてゆき、現代化してゆく中で「湖の国のかたち」は奥深くに隠れてゆきました。
ところが、日本と世界の交流がすすみ都市が国際化してゆく中、発展とともに失ってゆく日本の原風景やくらしはまさに、白洲正子が「かくれ里」「近江山河抄」につづったように、滋賀のあちこちに残されているのです。今、鄙びてなお残されたものが滋賀の特別なものとして愛でる魅力を新たにみせつつあると私は考えています。

鄙びという美学

 滋賀の中に美しさを見つけようとする時、そこには必ず「鄙び(ヒナビ)」という魔法のメガネをかけてみることをおすすめしたいと思います。鄙びとは雅に対を成す古い大和言葉なのですが、時を経て、忘れられ、朽ち、消えそうになりながらも在り続ける、自然の淘汰を超えて残されたものです。人の手を離れゆだねられ、なお選ばれる鄙びには、人が研ぎ澄ましたどり着いた華やかな雅には無い、奥行に広がるような魅力があります。もし鄙びというメガネを手にすることができた時、豊かに鄙びる滋賀は、今まで感じたことのないような楽しみをもたらしてくれることになります。

繋ぎたいもの

 未来へ繋ぎたいもの、それは湖の国ならではの豊かさ。それを最大限に楽しめることができればどれほど人生は豊かなものでしょうか。琵琶湖や山河の自然や田畑、日本の歴史を目の前にして触れて感じることのできる文化財たち、滋賀に生きてきた人たちの食にまつわる物語が、料理の中にちりばめられている、そうした料理を創造してゆきたいのです。
 ひさご寿しは昭和35年に食堂「ひさご」として創業しました。時代にあわせて、仕出し寿し、ビアガーデン、ケータリング、喫茶店、うどん店などなど様々な飲食業に取り組んできたことで、地域のいろいろなお客様とつながりをもらいました。平成18年頃からは農家さんや漁師さん、畜産のひとたちなど生産者さんとも交流の輪を広げ、さらに行政とも協働しながら、食をテーマにいろいろな未来を考えています。未来の人たちも羨むような湖の国の豊かな鄙びを伝えてゆきたいと思います。

店主 川西 豪志 TAKESHI KAWANISHI

株式会社木馬・代表取締役、ひさご寿し料理長。近江八幡生まれ、近江八幡育ち。18歳より料理の道に入り、神戸有馬の「竹取亭円山」での仕事を最後に帰郷。2003年よりひさご寿し料理長。日本庖丁道清和四條流に学び、山王総本宮日吉大社や近江神宮などの奉納神事も務める。滋賀、琵琶湖の食材を使った料理を得意として、行政や大学とも連携し、地域文化を料理人として研究しています。
日本国家資格・日本料理専門調理師 / 滋賀県資格ふぐ調理師 / 滋賀県日本調理技能士会理事 / 日本庖丁道清和四條流師範 / 滋賀フードツーリズム推進協議会副会長 / 龍谷大学非常勤講師

川西語り